専門コラム 第72話 みんなの努力を引き出し、問題解決に導く
ナポレオンと聖徳太子の違い
余の辞書に不可能という文字はない
ナポレオンの有名な言葉です。
大言壮語、あるいは大ぼらのように聞こえますが、フランス革命後の混乱を収拾して皇帝に即位し、強力な軍事力でヨーロッパ大陸の大半を勢力下においた稀代の英雄の実績を考えれば、強烈な自負と強気をまとった本心の表れと理解することができます。
こんなリーダーがいれば、即断即決。
何事も時機を逸せず決定され、好調な時には破竹の進撃を続けることになるでしょう。
ただし、両刃の剣でもあります。
下はリーダーに従っていくだけですから、リーダーが判断を誤ったときは歯止めがきかず、坂を転がり続けていくことになるでしょう。
一方、日本には「小田原評定」という言葉があります。
小田原城を中心に勢力を築いた北条氏は、月に2回開く重臣会議で施策を決定していました。
こういうスタイルは、封建制の当時としては進んだものだったのかもしれません。
ところが、豊臣秀吉の小田原攻めの際、劣勢となった北条方の評定は延々と続くばかりで、和戦の結論がなかなか出せず、結局、小田原城は開城、北条家は離散することになります。
この故事にちなんで、その後、いつになっても結論の出ない会議のことを「小田原評定」と呼ぶようになりました。
どちらかというと、日本ではこの合議制スタイルが多いでしょう。
聖徳太子が604年に制定したとされる「十七条憲法」も、第17条で、現代語訳にして次のように言っています。
物事は独断で行ってはならない。
必ずみなと論じあうようにせよ。
些細なことは必ずしもみなにはからなくてもよいが、大事を議する場合には誤った判断をするかも知れぬ。
人々と検討しあえば、話し合いによって道理にかなったやり方を見出すことができる。
日本人のメンタリティには、この方が向いていたのかもしれません。
しかし、小田原評定のように、往々にしてマイナスに働くこともあります。
現代の会社においても、合議で事を決めようとすれば、なかなか決まらず、一方で、必ずしも全員が賛成というわけでもないのに、声の強い者の意見がやすやすと通ってしまうという事態を招きがちではないでしょうか。
強気の勢いが賛同を得、道を拓く
会議というのは、結論を出し、みんなの意思を一つにまとめる場です。
連絡事項を告げるだけなら、今ではメール1本で済みます。
仲間内のミーティングでも同じことです。
ただ、結論を得るための進め方は一考する必要があります。
社員あるいはみんなを納得させ、引っ張っていくためには、指名してでもそれぞれに意見を出させることが大事です。
自分も当事者であるという意識を持たせるためです。
そうすることによって、後々の異論を封じ込めることができます。
しかし、一から議論をしていては、時間がかかるばかりですし、ベストの方向が見つかるとは限りません。
事前に自分なりの答えを用意しておく必要があります。
みんなの意見をきくというのは、ある意味、ガス抜きと言えるかもしれませんが、独断専行のそしりを免れるためには必要なことなのです。
そうは言うものの、会議は往々にして声の大きい人の意見になびきがちです。
さらに言えば、強気な意見は賛同を集めやすいものです。
プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一はこんな言葉を残しています。
弱気は相手を強気にさせる、弱気は強気に押し切られる、強気は弱気を制していく、強気は強気を押しのける。
いかにも「闘将」らしい言葉です。
スポーツの世界では、弱気の虫は決していい結果を招きません。卓球の伊藤美誠もこう言っています。
いつでも、どんな場面でも、誰が相手でも強気に。
しかし、強気が力を持つのはスポーツに限ったことではありません。
会議で自信に満ちた強気の言動がその場を支配し、周りの人の賛同を得やすいのは、勢いを持つからです。
どんなものでも勢いのあるものには流されます。
人も同じということです。
たとえば、社内で飛ぶ鳥の勢いのある人が間違ったことを言ったとしても、なかなかそれを訂正したり反論したりはできないものです。
これとは逆に、思い迷うときに勢いのある言動を見せられると、踏ん切りがつきやすくなります。
そして、そうした勢いというものは、多少の間違いがあってもうまくいくことが多いというのも事実でしょう。
気が強いことと強気の発言は似て非なるもの
ただし、性格的に気が強いということと、強気な言動は、同じように見えてそうではないことを知っておかなければなりません。
気が強い人にはおおむね、以下のような特徴があります。
- プライドが高い
- 人にも自分にも厳しい
- 言い方がきつい
このため、相手が威圧的と感じ、委縮して扉を閉ざしてしまう恐れがあります。
また、自分の正当性を主張するために相手を見下したような発言をしたり、できない人を責めるような言い方をしたりしがちです。
集団の中でこんなマイナス面が表に現れてしまうと、いくらいい意見やアイデアであっても、人はついてきません。
上司であれば、一歩間違えるとパワハラととられかねません。
さらに、気の強い人は常に強気の発言をするでしょうから、「またか」と受け止められ、受け流される恐れもあります。
イギリスの聖職者で作家であったチャールズ・コルトンは次のような警句を発しています。
他人に忠告を押し付けたい強い欲求を感じるとき、私たちは相手に欠陥があるのではないかと思っている。だが、実は欠陥があるのは自分のほうだと考えたほうがいい。
強気の発言というのは、単にイケイケどんどんではありません。
攻めるか守るかで言えば攻めるほうではありますが、その裏付けがきちんと用意されていなければなりません。
語尾まではっきりと言い、自分の考えを相手に理解させたいという明確な意思を感じさせるものです。
そう考えれば、むしろ普段はおとなしく見える人が、たまにこういう発言をすると、かえってみんなをまとめる力を持ちやすいかもしれません。
強気とそうでないときの緩急をつける。
この行動こそが、 みんなの努力を引き出し、問題解決に導くための肝ではないでしょうか。