専門コラム 第2話 「三方よし」のビジネスで社会に貢献する
「タコツボ型」のリスク
企業は社会に生かされている――。 それが私の揺るがない信念です。社会に生かされているとは、社会に必要性が認められているのと同時に、社会に対する責任もあるということです。経営学に、企業は良き市民であるべきだとする「企業市民」という用語がありますが、企業も最低限、人間が社会人として求められる程度のことは守らなければなりません。
しかし、こうした視点を失った会社が随分あるように思います。法に反することに限らず、データ隠しや検査偽装、手抜き工事などの不正・不祥事は枚挙にいとまがありません。 不祥事を起こした会社は、消費者や取引先は二の次で、経営者自身の保身や目標数字の達成ばかりに目が向いていたとしか思えません。20世紀の政治学者で政治思想史家、丸山真男が著書「日本の思想」で言うところの「タコツボ型」になっているのです。
タコツボ型社会では、内に向かっては求心力が働き、外に向かっては排外的な力が働きます。その中にいる人間は、自分が属する狭い世界ばかりを意識し、自分が社会の中で占めている位置が把握できなくなります。
企業がタコツボ型であったら不祥事の土壌が育っていると見るべきです。一般的な社会規範が通用しにくいのですから、不祥事も起きやすくなります。それが何を招くかというと、消費者や市場からのしっぺ返しです。売り上げは落ち、株価は下がり、結局は自分の首を絞めることになります。社会の信頼を失う行為は、たちまち会社の存続を危うくするのです。
SNS社会のリスク
現代社会に生きる企業にとって最大のリスク要因が、ここに潜んでいます。 SNSが大きな影響力を持ち、「いいね!」の数を競い合う風潮の中では、たとえフェイクニュースであっても、面白かったり個人の感覚に合っていたりするだけで、多くの賛同者を引き連れて独り歩きしてしまいます。
そんな時代に、企業が愚かな行為に走れば、たちまち火が付いて、まさに「燎原の火のごとく」広がっていくのは明らかです。
いい例が、飲食店やコンビニのアルバイト店員が不衛生な行動をSNSにアップして、会社が謝罪に追い込まれた〝事件〟です。
SNSの怖さに無自覚なまま、個人的に莫大な損害賠償さえ求められかねない行為を自らSNSで広める愚かさにあきれてしまいます。しかし、この問題は、現代社会におけるこうしたリスクを、経営者だけでなく社員一人ひとりが意識すべきであることを示しています。
仕事上のミスなどはいくらでも取り戻すことができますから、リスクでもなんでもありません。最大のリスクは、無責任なうわさも含めて世間の評価・評判がもたらすイメージダウンであることをしっかり認識しておかなければならないでしょう。
ドラッカーが語るCSR
こうしたリスクに対する予防的措置になっているのが、CSR(企業の社会的責任)です。企業は利益を追求するだけでなく、企業活動が社会に与える影響に責任を持ち、それに対応する行動をとるべきだとする考えの下、多くの企業が環境や人権、社会問題、地域社会の活性化といったテーマに積極的に取り組むようになっています。
現代経営学の創設者とも称されるピーター・ドラッカーは、代表的著書『マネジメント』で次のように述べています。
社会的責任の問題は、二つの領域において生ずる。第一に、自らの活動が社会に対して与える影響から生ずる。第二に、自らの活動とは関わりなく社会自体の問題として生ずる。いずれも、組織が必然的に社会や地域のなかの存在であるがゆえに、マネジメントにとって重大な関心事たらざるをえない
つまり、企業は社会に存在する以上は、自社の活動が原因であろうとなかろうと、社会に生じた問題に対して関心を持たなくてはならないというのです。まさに「企業市民」の考えです。
本来、普遍的な価値を持つCSRですが、現在では企業のリスクマネジメントという意味合いが、特に大企業においては強いことは否めません。露骨に言えば、万一のことがあった場合の保険です。奉仕や慈善活動を行うフィランソロピーや、文化・芸術活動を支援するメセナにも同様のことが言えます。
もちろん、純粋な意味でこうした活動に取り組んでいる企業もあることも指摘しておかなければならないでしょう。
渋沢栄一とCSR
そのドラッカーが、CSRの先覚者として挙げたのが、新1万円札の「顔」になる実業家の渋沢栄一です。渋沢は金融や鉄道、教育、医療など社会のインフラとなるさまざまな分野で約500もの会社設立にかかわりましたが、多くが現在も存続して社会を支えています。この活動こそがCSRだというのです。
渋沢には、戦後の名経営者と言われた人たちが片時も離さなかった「論語と算盤」という著書がありますが、そこにこう記しています。
富をなす根源は何かと言えば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ。
「正しい道理の富」とは、不正もなくコツコツと真面目に稼いだお金のことを言うのでしょう。タコツボに収まって仁義道徳、社会規範や人の気持ちををないがしろにする会社は、成功はおぼつかず、長続きもしないと断言しているのです。
「三方よし」が会社を守る
実は、ドラッカーや渋沢栄一に教えられなくても、日本には古くから本来の意味のCSRを実践し、社会貢献を商売の柱に据えてきた思想があります。近江商人の商売哲学である「三方よし」です。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」というこの考えは、今風に言うと、すべてのステークホルダーの利益に貢献するということです。「株主利益優先」といった一部のステークホルダーだけに目を向けたものではありません。
売り手には従業員やその家族、買い手には消費者、そして世間には地域社会や地球環境まで含まれます。日本には、はるか昔から社会貢献を重視していた商人がいたのです。江戸時代からのその流れを汲んだ会社は、今もいろいろな分野でトップ企業として生き残っています。
近江商人の商売十訓にはこんな言葉があります。
・商売は世のため人のための奉仕にして、利益はその当然の報酬なり
・店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何
・売る前のお世辞より打った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる
・資金の少なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし
・無理に売るな、客の好むものも売るな、客のためになるものを売れ
いずれもお客様相手の心がけを説いたものですが、顧客のためを思う気持ちの背後に、社会に貢献するという気概が強くにじみ出ています。
目先の利益だけに走る商売には夢もロマンもなく、当然、将来もないでしょう。